FC2ブログ

ブラカズヒロ 三河田原藩邸跡をめぐる。

2012年04月19日 23:45

FBの方ではざっくり紹介した三河田原藩江戸藩邸跡をもう少しちゃんと紹介。

参考サイトはgoogle earthでラムゼ歴史地図を表示、江戸大絵図国立国会図書館
こちらの資料をもとに散策してみました。

まず上屋敷。
東京都千代田区隼町4番
現在の最高裁判所


大きな地図で見る


kamiyasiki2.jpg


kamiyasiki.jpg

kazan.jpg

銅像の裏手にひっそりと崋山の生誕地という案内看板がある。

隣の井伊家と比べると小さいですが現在も三宅坂という名が残っている事はなかなかどうして。

次は中屋敷。
東京都墨田区両国3丁目
JR両国駅東口すぐにある横綱横丁


大きな地図で見る

nakayaiki.jpg

ikoi.jpg


akutagawa.jpg

現在は両国ということもあってちゃんこ屋さんが軒を連ねていてこの横綱通りには立ち呑み屋さんなどがありのん兵衛には嬉しいところ。 横丁の一角には小さなスペースがありサラリーマンの喫煙場所として賑わっていた。
また芥川龍之介が育った場所でもありその案内看板が横丁の出口にかかっていた。
中屋敷についての記述は探してみたがなかった。

最後は下屋敷。
東京都文京区千石3丁目
通称猫股坂下



大きな地図で見る


gokokuji.jpg

nekomata.jpg


 護国寺。桁行7間 梁間 7間の東京最大の木造寺院から不忍通りを駒込に向かっていくと千石3丁目の交差点付近に猫股坂がある。そこにコンクリート製の橋の軸石が残っている。古地図に書かれている猫股橋の場所を示す場所だと思われる。

nekomatahi.jpg


nekomatasaka.jpg

案内板にあるように写真中央にある急な坂が以前の猫股坂の名残がありる。

その坂下に流れていた千川が暗渠化されているであろう場所が下の写真の道。


koisigawa.jpg

状況を色々踏まえたうえで写真左側が田原藩下屋敷跡であろうと推測される。
この下屋敷は三宅友信が「巣鴨の老公」といわれ不遇の時代を過ごした地でもあり御用人であった渡辺崋山ともゆかりが深く、蛮社の獄で捕らわれた際の救済運動の中心であった椿椿山が小石川生まれというのも興味深い。




今回初めて藩邸をまわってみたが三河田原藩は1万2千石の小国ながら城持大名であり結構格の高い役職についていたりしてなかなか稀有な藩なんじゃなかっただろうか。
地元民は渡辺崋山は知っていてもそれ以外はあんまり知らないんじゃかと。自分も含めてだけど。
行政にしろ商工会議所、JC,ライオンズクラブでもいいので中屋敷下屋敷に案内板を設置する運動をしてもらいたいものだと思う。


下屋敷見学の後昔ニュースになっていた「銅御殿」を発見。

単純に金がかかっているのが外観からも分かりその存在感はすばらしい。今じゃなかなか作れない美意識があってかっこいい。 中も見学してみたい。


明後日もまた東京なんで何しようか考え中。
















スポンサーサイト



コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://studio575.blog21.fc2.com/tb.php/597-be417a45
    この記事へのトラックバック

    最近の記事