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画廊に出す作品が完成しない

2005年09月30日 21:48

sebone展の一環で朝日画廊に販売を前提とした作品を置いています。
旧作2点に加え新作を1点出そうと思っていたのですが結局完成しないままになりそうです。
その新作はここのところ懇意にしている絵描きの人のネタ帳をみさせてもらって、そこから作品の骨子をいただいたもので、最近都合よく使われる「インスパイア」ではなく「オマージュ」といっていいものだと思います。

そんなこんなでseboneも残すところ2日間となりました。面白いか面白くないかは主観の部分が多いので分からないですけど、鑑賞する人がいてはじめてイベントが完成されます。参加型に思えないがこういうイベントこそ主体性のある参加型イベントだと思います。ぜひ。明日明後日は私も会場にいますから。
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sebone作品について その2

2005年09月28日 21:49

前回からの続き~
を自分自身の手で価値を下げている気がしました。
下げる事によって被害価値を小さく見積もりやすくし責任の軽減を図っていて、その行為が認められてしまうと結果として作品のクオリティーが低いものを発表したという事となりイベント事体を甘くそして中途半端なものに陥れている事になっていないだろうか?
 主催者側は少なくとも今回の作品を決して低い評価をしていなかったからの謝罪だったのに作者が間違ったとおもう態度をとったので本当にがっかりしたんだろうなと思うと心が痛みます。なんだかな~。

そんな作品の塗装が剥げてきました。 やっぱり最終にクリヤー塗装をしなかったからだめですね。後表面にワックスが若干残っていたのかもしれないですね。 中だるみというか小休止感が強いけどまだまだ開催中です。 明日から朝日画廊の方で作品販売も行います。まあ週末にでも来て下さい。

タイトルなし

2005年09月26日 23:09

せぼね3日目終わりました。
もっとみんな来て! 季節もいいしさ。お願いします。
そんな出足の悪いなか大殺界らしい私の作品の一部のネコが大人らしい表現でいうところの(心ない人)、感情的にいえば(くず)に破壊されました。破壊といっても尻尾がおれたぐらいですけど本当に色んな意味で面倒くさいことしてくれました。壊されたという報告を受けたときの私がとるべき反応ってどうしたらいいのでしょうか?
今回とった態度は自分の
続きはあした。

明日からアートイベントsebone始まります。

2005年09月24日 00:40

ご無沙汰していました。ここ四五日せぼねの作品作りが思うようにはかどらず毎日午前3時に帰宅という事を繰り返していました。
やっぱり無理はいかんね。20代だった頃は少しくらいの無茶など全く問題にならなかったのに30歳になるとねぇ~。疲れすぎて高熱が出て悪寒と睡魔がひどくてダウンしてしまいました。追い込みのはずが足を引っ張っているだけになってました。 そんないろいろあったせぼねの作品は完成し明日からの9日間、私を含めた60人以上の個性が水上ビル及びそこに集う人たちを楽しいと感じさせる雰囲気を作っています。
ぜひ参加してください。

 無茶はいかん。
 

ネコの進行状況

2005年09月18日 22:41

座っている猫の石膏型が出来上がりそれと平行して寝ているポーズの猫の粘土原型が完成しました。↓ここまで来るとそれとなくネコって感じ。
su2.jpg

搬入まで時間が無いので段取りをちゃんとしないと目的のものに手が届かなくなるのでがんばりどころです。 でもここのところ異様に眠気が強く製作に多大な影響を及ぼしています。

開会まで後5日

FRPの作業に飽き飽きしてきた。

2005年09月14日 22:48

neko4.jpg

 SEBONEに出品する作品の枝葉としてとりあえず4体分作りました。
搬入日は23日なのであとどれくらいの枝葉が作る事が出来るかわからないですが、会場の空間が広すぎるのでもっと枝葉が無ければ全体の説得力が得られない気がしています。 本来なら今日の時点でもう2体完成しているはずなのですが一番最初に作った型が一体目を抜いたとき壊れてしまってその型で後2体とる予定だったのに結果として1体だけとなってしまった。 明日からは座ったポーズの原型をはじめようかと思っています。

 どうでもよく尚且つタイムリーじゃないけど小林興紀氏の本当の刺客は百合子じゃなくって私設秘書だったみたいですね。

酔っ払いの芸術家と言う人間について

2005年09月10日 01:40

[酔っ払いの芸術家と言う人間について]の続きを読む

この為だったのね

2005年09月07日 21:20

散々馬力があるとか顔がでかいとか演技が舞台向きだとか数々の無礼な発言をここに訂正します。

ごめんね杏ちゃん。

みんなもかじりつきで最前列で見ているであろう〈がんばっていきまっしょい〉どうでした?今回。 もうさ杏ちゃんが「ボート好きなんよ」というところなんて悪いけどパッと出のアイドルじゃ到底私の涙腺を緩ますことはできなかったと思うほど杏ちゃんの演技は力があって涙腺の蛇口を半ば強引に開いていてしまった。あの強引さ意外と好きですね。
 
スタート当初、生きる力に満ち溢れていた杏ちゃん自身のイメージがもやもやくすぶっている高校生の〈悦ねえ〉の設定には無理がありすぎ、また映画版の田中麗奈のイメージが強すぎ違和感があったが、今おもうとここのシーンの為の杏ちゃんか。
そんなドラマも次週で最終回。ちょっと早やないか?一回飛んどるんだぞ。何か強引だな、楽しみにしている人には30分延長などでは納得いかないよ。 
 あ~あ来週で終わっちゃうのか~。何か寂しいな。

白いバンド赤いバンド

2005年09月06日 21:41

ホワイトバンドに対するレッドバンド にぎやかで活発な発言が出来る国というのはいいものだ。
 ホワイトバンドのほっとけない世界の貧しさキャンペーンでいうところの〈貧困〉とは対極にある日本人及び貧困とは無縁と思われる各国の中に貧困というものが無くなった未来を思い描いている人はどれだけいるのでしょうか?
うまい事いえないけど貧困に陥るということは勢いのある国々が搾取し利用した末のあるべき姿だと思うのです。 
国という括りをはずして個人レベルで考えた場合は多くの人はそのような状況は何とかして改善しなければと思ったりするのですが、実際に改善ができるのだろうか。有効な改善の方法とは何かと考えた場合有効な手段は富める者の生活水準を下げるということです。搾取をやめるということです。 出来ないですよ、普通は。 日本道に一億総中流といわれていた時代も終わって勝ち組負け組みと住み分けされてきた今、貧困に悩む人からすれば富める層でも資本家と呼ばれる上の層からみれば私たちは当然搾取されまくっている。私たちは搾取された穴を補填するために私たちより弱者である貧困層を利用して搾取。
残念だけど無理だろうね。 

思い描いていたものが形に

2005年09月05日 20:34

117-17521_IMG.jpg

知り合いの洋画家の人が週一くらいで仕事場に来ていました。
彼曰く、自分が描く平面の作品に登場するアイテムをリアルなモノとして実感したいらしく自ら原型を作って持ってきました。 彼が持参したものは紙粘土で作った蛙のお面で、これを被れるように複製したいとのことでしたので、作り方を一通り教えてから適所に手を出しながらやってもらいました。 なかなかうまいこと複製ができて満足されていました。この後は絵描きのテリトリーの着色になるので完成したものを見るのがとても楽しみだ。やっぱり彩色うまいんだろうなと思うと軽く嫉妬したりしなかったり。

sebone

2005年09月04日 22:04

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せぼねに出品する作品の一部分の石膏取りをしました。
思うようにはかどらずいらいらしながらやったのでうまいこと型取りできているか心配です。
写真のようなものをたくさん作るので、時間ばっかかかってしまって飽きる事間違いなし。 暇なヒトとか手伝ってほしいぐらいです

突き詰めていくとシンプルになる3

2005年09月02日 21:47

3回目になりましたがなぜ裸なのかという疑問について私なりに考えてみます。
作品を作っていくうえで最初に行うことは、作品に投影させたい作者の意図に近い情報をいろいろなところから手当たりしだい集め処理できないほどの情報の中から私というフィルターを通しその膨大な情報を取捨選択していくのです。 人体という受信機に意図を投影させる手段を選んだ彫刻家はこの純化の作業を突き詰めていくと衣服というものも意図を投影する為には障害でしかなくなっていく。その理由としては衣服に社会性や日常という時間が投影されているからだと考えます。
大体の彫刻家はここらあたりで受信機の性能が一番安定するので全体に製作されるのは裸像になる。 ここを一歩進めたのが作品に動きをもたせない無い、立つ・座るだけというシンプルなものになる。さらに進むと顔がなくなったり手が無くなったり足が無くなったりする。

難しいかわからないのでひとつ例を。
アパレル業界のコレクションと呼ばれるデザイナーの発表会があります。 普段のデザイナーは着るという社会性を意識した着る為の洋服をデザインしていますがコレクションには着るという社会性を無視した作品を纏ったモデルが闊歩する。 ただの布が動きにあわせて踊るものだったりドレープが伸縮する様だったりほとんど裸で小さい布が張り付いていたり作品から枝葉が落ち根幹だけみせる感じなど。手法は違えど同じベクトルの話だと思うのです。

この純化という作業を続けていくと結論として

何も作らなく何も残さないのが究極の彫刻だとなってしまう。

それじゃあやるせないのでちょうどいいところで妥協しているのです。
その妥協が妥協といえるものかわからないが生きていくという事は妥協するということならば純化を続け絶望の淵に自殺する作家が本当は本物なのかも知れないです。

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